メンヘラ日記

ファッションメンヘラ

第五百九十九話 ヴェルタース年賀状

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私の友達がくれた初めての年賀状、
それは松の内を過ぎて届いて私は20歳でした
その年賀状は甘くてクリーミーで、こんな素晴らしい年賀状を貰える私は きっと特別な存在なのだと感じました 。
今では私がお正月、友達にあげるのはもちろん手書きの年賀状。
なぜなら、彼もまた特別な存在だからです

 

 

先日、もう「あけましておめでとう」をいうか迷う時期に友達から年賀状を貰いました。その友達はえっちなイラストを掲載した年賀状をくれるということで、家庭を配慮してわざわざ便箋に入れて送ってくれたのですが僕は家族に「えっちな絵描いてある年賀状きたら友達からだから怪しまないでね」ってあらかじめ言ってましたし結果的に普通に見られました。色々と希薄な家。

 

ただ、その年賀状はイラスト以上に裏面には手書きのメッセージがたくさん添えられていまして、それがすごく嬉しかったんですね。

自分からその友達への年賀状は手書きメッセージの部分はせいぜい1行で出したので申し訳ないですね。

 

で、嬉しかった理由としてはその他に僕に届いた年賀状の多くがなんというか義務感に満ちたものだったんですよね。

高校時代の友達数名から年賀状が届いたんですが、どれも家族兼用の年賀状ソフトのフリー素材をぶち込んだ感じで、直筆メッセージを書くことを想定されているであろう余白も真っ白な状態で届きました。

まあ、送ってくれるだけ嬉しいものではあるんですが、年賀状ソフトで「去年もいたから」という理由で機械的に出される年賀状は、届かない年賀状以上に関係が希薄になってしまったことを突きつけてきます。

 

自分は「義務感から出す年賀状文化」は好きではないので無くなってもいいとは思いますが、文通とかは普通に好きなので「たまにはお手紙を出そう」という機会としての年賀状文化は結構好きです。だからこそ、義務感年賀状か届くと申し訳なさと寂しさがどうしてもあるんですよね。

 

だったら絵文字や個別の文章なくとも「あけおめ」とだけLINEしたり、なんならお互いのあけおめツイートにいいねをしあうだけのほうがまだ関係性が続いてる気がします。

 

まあこれだけ言っておいて自分も年賀状は来たらお返しを出すみたいな感じなので五十歩百歩ですね。

 

来年の年賀状はもう少し頑張ろうか。

 

 

次回 未定。