自分はなんとなく、「映画のエンドロールで、監督の名前はあがりきったほうがいい」と思っていた人間です。
理由としては多分日本人特有の、人に対して謙虚さであることを強要したい気持ちからだと思います。ニーアレプリカントのエンドロールが役職順ではなく人名のアルファベット順なのに「スタッフが平等な感じでエモ〜」と思っちゃう人間なのにもその感性は多分表れています。
全く同じ話題をオモコロでもうやっててちょっと萎えた。有料記事だし。まあ、逆に発想で食べてる人間たちの発想に自力でたどり着いたということで良しとしましょう。
しかしまあ、エンドロールの監督が上がりきるかどうかに映画の当たり外れは全く関係ないことを去年映画を色々見て思いました。劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライトだって最後には監督がどんと真ん中で止まって終わりますし。
イメージとしては、エンドロールがただ真っ暗な画面にインスト曲で淡々と文字が流れる場合には上がりきって最後に真っ暗で終わったほうが締まりが良くて、エンディングにもアニメーションとか楽しめる要素がある作品は逆に真ん中に監督をどんと据えて締めた方がいいのかなとか適当に考えていました。だからアニメは止めが多いとかあるかもしれませんね。響け!ユーフォニアムのエンディングは上がりきってましたけど。
まあ、監督の名前が止まるかどうかはどうでもいいとして、洋画の字幕版を見たときに最後に字幕翻訳者の名前がクソデカフォントで出るのは好きじゃないです。一番目立つ出方しやがって。
次回 未定。