メンヘラ日記

ファッションメンヘラ

第五百六十九話 あるものねだらず

【警告】やがて君になると、劇場版ヴァイオレットエヴァーガーデンネタバレと曲解異常成人男性の独りよがりを含みます。

 

七海燈子が許せなくて。

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ギルベルト・ブーゲンビリアが許せなくて。

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自分はこの2人をあまり好きになれない人間です。物語のキャラクターとしては好きですが、あまり許すことができません。

 

許せないというのも、ギルベルトも燈子も、最後にはヴァイオレットと侑の想いに向き合うことができているので物語全体で見れば許せているというか、自分が許せないムーブも作劇の上で必要なものなのは理解しています。ギルベルトとヴァイオレットが、燈子と侑が幸せになることを望んでいますし、燈子を許せないのには佐伯沙弥香の存在がかなり大きいので。

 

なので、自分が許せないのは2人その人というよりは、向き合うことと逃げるムーブに対してです。

 

2人とも、自分の負い目しか見えなくて、人から貰ったものを無碍にしているんです。

2人はそうなるのも仕方ないほどの喪失を経験した人間であるとはいえ、それと2人がヴァイオレットを、小糸侑と佐伯沙弥香を傷つけるのはまた別の話です。

 

2人とも愛をもらっていて、自分も愛を与えたいのに己の中にある業を盾にして向き合うことから逃げて、その愛をくれた相手を拒絶して傷つけているんです。愛と向き合うことも完全に遮断することもできないから。ここに関してはギルベルトは遮断を試みてはいたのをアクシデントで再会してしまっているので仕方ないですね。七海燈子、お前はなんなんだ。

 

これは弱者の僻みなのか、同族嫌悪なのか。

 

自分は才覚にも容姿にも恵まれず、何かを持っている人間が嫌いなので、そういう人間が己の持っているものから目を背けて丸腰でございますという態度が許せませんし、そういう人間には幸せになる義務が絶対的にあると思っています。しかもそれが愛されることだったならば尚更で、それをつまらない独りよがりで拒否して、あろうことか周りすら傷つける人間が大嫌いなんです。

そういう意味で、持たざる自分がギルベルトや七海燈子を許せないのは弱者の僻みの感情と言えます。

 

しかし、自分はこの世で一番持たざる者ではありません。自惚れでなければ才覚も容姿もめちゃくちゃに低いわけではなく、平均よりはあるのかもしれません。

もしかしたら自分が羨む天賦の才の持ち主も、初期値の才覚は自分並みであとは行動なのかもしれない。

愛をもらったこともありますし、その愛と向き合わずに台無しにしたこともあります。

燈子は自分を見失った結果、誰も好きにならず自分を嫌いにならない侑を愛することだけが自分としていました。

自分は何もない自分に唯一与えられた「素晴らしい彼女」に自己肯定感をすべて押し付けて、結果としてそれは壊れてしまいました。

 

自分に七海燈子を責める権利はあるのでしょうか。

この感情は弱者の僻みではなく、下位互換の同族嫌悪なのではないでしょうか?

 

答えはどこにもありません。

「コンテンツに人格を見出しすぎるの、生きづらくない?」と先日人に言われました。

 

俺もそう思う。

 

ただ少なくとも、人々が秘めてる弱さをこうしてブログで開け広げて「私は弱い人間です!!」という敗北ポーズを取ることが悪いことなのは間違いないですね。読者の貴方が、僕にとっての小糸侑です。僕のことを好きになっても嫌いになっても別にいいけど。どっちにしても対応できないので。

 

 

次回 未定。