トイレットペーパーホルダーが2つある家庭に、真の家事分担と平等は訪れない。
以前、「トイレットペーパーが二つあるトイレで、多い方から使って平均化する人間は偽善者だ」ということを書きました。
それは家族がシンプルに使い切っても「もう片方残ってるし」と交換しない「替えない悪人」であったり、前述の「平均化の偽善者」で、2つ使い切っても尻を拭き切らず、自分が2つとも交換する羽目になり、僕がキレたことがきっかけでした。
しかし、よく考えたら家庭のペーパーホルダーが2つあるのって、不平等な家庭構造の誘因に他ならないのではないでしょうか?
公共の施設やお店のトイレに複数ペーパーホルダーがあるのは理にかなっています。利用者の客と、トイレの環境整備を行う店側という関係があるので、客がペーパー補充を行う前に、清掃が入ってペーパーを補充できる確率が上がりますからね。残り少ない場合、満タンにして半端なやつはスタッフ用のトイレに回されたりするので、「平均化の偽善者」や「替えない悪人」がいたとしても理にかなっています。
しかし、家庭では違います。全員がトイレというサービスの利用者であり、管理者であるからです。
家庭用のペーパーホルダーが1つならば、「平均化の偽善者」は存在せず、「替えない悪人」がいたとしても被害は最低限です。しかし、2つ存在することによって、問題が起こるのです。その結果、負担が不公平になります。
こういう家事みたいなものって「気づいた人がやる」っていう形態を取られがちですが、それが一番不平等を産むんですよね。そういう人って全く気がつかないくせに、稀に気づいたときはやってるので、「自分は家事をちゃんとやってる」という自負があるのが最悪です。実際には家事の当事者意識が高い人間に負担が集中しているのに。それは結局、主婦だったり、母だったり。
前に夫婦ルポ漫画かなんかで、「先に気づいた方が指摘することで、気づかなかった方にやらせる」という形態がありました。片方に圧倒的な認知能力の欠如さえなければ、かなり理想的だと思います。まあ、若干険悪になるかもしれないけど。
皆さんも、将来住む家のペーパーホルダーは一個のほうがいいですよ。
次回 未定。