劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライトの絵コンテ・資料集がようやく届きました。
ボシションゼロに推しを立たせることができる表紙。
でもやっぱり劇場版は愛城華恋の物語だからな……。
早期予約特典のポスターは別にいいかなって発売日に地元の本屋で買おうとしたら並んでなかったので発売日に通販するマヌケをかましました。
ヲタクは当然のように受け入れてるけどこの映画公開から2年半経ってるんだよな……。
まだ次の駅に行けない。
劇場版のレヴューシーンの絵コンテと各キャラ・背景の設定画が乗ってます。
絵コンテ読んでると、実際の作品では削られてるセリフとかが結構あるんですね。先に産物を観てるのでなんとも言えないですけど、「たしかにこのセリフがあったら喋り過ぎだな……」とか思いますね。単純。
自分としてはそのまま「なるほど、ここはこういう意図があるのね」とか「はあ^〜〜いいわねぇ〜〜」みたいな楽しみ方なんですが、フォローしてる絵師の人の感想ツイートとかを見てると衣装の見えづらい部分を設定画で確認してたり、絵コンテでの演出意図を噛み砕いて確認してたり、創作の糧にしようとしてるんですね。
自分は絵師ではないのは当然として、ありとあらゆるエンタメコンテンツに触れてもそれを二次創作にしないのはもちろん、批判的な受け取り方も批評もせずにただただ摂取する消費豚なので、羨ましくはありますね。
すべての視聴者が批評家になるのは問題ですし、自分みたいにただ淡々と作品を消費する視聴者がいるべきなのはわかってるんですが、やっぱり自分はかっこいい消費者になりたいみたいないやらしい気持ちがあります。
「自分は消費豚だ」
っていう意識が結構強くあるので、絵師の人とかにフォロバされるとビビりますね。「そんな畏れ多い……」ってなる。
で、「絵コンテ読んでも消費豚だから悲しい」ってツイートしたらFFの絵師に
「それはそれで公式の純度が高いから良いこと」
「創作をやってると公式の解釈が自分の創作に都合がいいかどうかという邪念が入る」
とエアリプが来ました。
なるほど。創作ヲタクってそういう悩みがあるのか。
自分は二次創作も大好きで、地雷とかもなくいろんな二次創作を読みますが、たしかに自分自身の解釈としては公式が最大手で、公式準拠の読み方をしてるかもしれません。結構原作至上主義者なので。
まあ本来それが普通の消費者だと思うけど。
「公式が解釈違い」
みたいなの、話題wのヲタク辞書wの例文にもありましたし、自分も冗談で言うことはありますが、あんまり心の底から思うことはないかもしれないですね。
公式が答えだから、それ以外に世界を持たない。公式じゃないカプは二次創作として好きだけどそれはあくまでifであってそれ以上でも以下でもないっていう感じ。
スタァライトが急にお色気売りとかしたら流石に解釈違いたけどそれは作品にというよりもマーケティングに対する解釈違いだし。
消費豚であることにも一定のメリットはあるということですね。
少なくとも制作者にとってメリットにはならずともデメリットになることはないので。
それでもただただ全肯定する消費豚になりたくない気持ちから好きなコンテンツのアンチスレを見ることがありますが、やめたほうが良いです。
批評のアウトソーシングになるわけでもなく、ただただ暗い気持ちになるから。
誰の毒にも薬にもならない人生を送っています。
次回 未定。