メンヘラ日記

ファッションメンヘラ

第七百三十二話 グロテスクで露悪的な解像度のリアリティ

書いてたらこの世に対する呪詛みたいな内容になったので、人の負の感情を感じるのが苦手な人は明るい時間にお腹いっぱいな状態で読んでください。

というか最近思ってる負を排出しただけなので読まなくていいです。

 

 

ドキュメント72時間が好きです。

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お店とか施設にただ丸三日密着取材するNHKのドキュメンタリー番組ですね。

他にドキュメンタリー番組というとフジテレビのザ・ノンフィクションとかが有名だと思うんですけど、僕は断然ドキュメント72時間派です。次点でテレビ東京の家ついてっていいですか。

 

場に張り付くか人に張り付くかっていう番組の趣旨自体の違いも当然あるんですが、自分がドキュメント72時間で好きなところは酸いも甘いも垂れ流してくれるところです。本当にただ場所に張り付いて幸せな人も辛そうな人も垂れ流して、同情も問題提起もしない。祝福はする。そんなところが好きなんです。

 

対してザ・ノンフィクションは"酸い"すぎる。そもそも辛そうな人に選んでくっついてるような気がしちゃうし。

ただ、先日も結婚相談所の惨状を放送してTwitter上で「これが婚活の現実……」的なバズり方をしていましたね。

個人的にザ・ノンフィクションは日本之下層社会を切り取った番組だと思ってて、それ自体はいいし必要な視点だとは思うんですけど、受け取り方が「これがリアル」って思ってるのが苦手です。

タワマン文学もそうですけど、インターネットの人は露悪的なことをリアリティだと思ってる人がたくさんいると思うんですよ。

で、自分たちはまるで無関係の観測者であるかのような態度で「わかってる感」のコメントをする。

ちいかわを「低能の日雇い労働w」みたいな受け取り方をして何が楽しいというのか。まあそれは楽しいか。

【推しの子】がウケたのも芸能界の露悪的なリアリティの描き方っていうのが大きい気がするんですよね。別にリアリティって「ロケ弁あるある」的な描き方でも良くない?

 

 

僕自身が元がメンヘラな反動から努めて楽観主義でいようとしてる問題はあるんですが、必要以上の悲観って苦手なんですよ。

必要最低限の現実主義以外はもっと武士の高楊枝でもいいから楽観的であってほしいっていう気持ち。

ちょっと違うけどガンダム富野由悠季監督が戦争に関して「絶望論で締めくくるのは簡単だけど、絶望論を子供に語ってはいけない。」って言ってたのがえらく共感できたのでこれに近いということにしておきます。俺はまだ子供気分で生きている。

 

僕がTwitterで嫌いな言葉は2位が「解像度」、1位が「グロテスク」です。

一応断っておくと、この言葉を使ってるひとりひとりというより、こういう言葉を使うムーブメントが嫌いなんです。

 

解像度については、創作に対してやれ解像度が高い低いと自分の経験に沿ってるかどうかという曖昧な物差しで物語の本筋じゃないところで評価してるのを見ると「お前は何様なんだよ!!」ってなってしまいます。

 

そして問題の「グロテスク」。

例文は

「(作品の名前)の(暗に描かれている社会問題)に気づかずに(作品の表面的な面白さ)でワイワイやってるの、結構グロテスクだと思う」

知らねーーよバーーーカ!!!

いやホンマに。何だお前。民衆の1個上にいるのか?

自分は社会問題に気づいてる。周りは気づいてない。

それだけならいいけどそれを「グロテスク」っていうショッキングな言葉で自分を上にして周りを下にする言葉の使い方が本当に苦手なんですよ。

 

「解像度」も「グロテスク」も「俺はわかってる側」っていう驕りが本当に腹立つんですよ。

 

でもそういう「俺はわかってる側」を叩く僕も「一歩引いて見れてる側」ってイキってるヲタクの解像度が高くてグロテスクってか。

ヤダーーーーー!!!!!

 

 

次回 未定。